和気清麻呂(小倉南区)

「足立の妙見さん」の呼び名で親しまれている妙見宮(小倉北区妙見町)には和気清麻呂にまつわる言い伝えがあります。
足が不自由だった清麻呂は企救郡(小倉南区)の温泉に入って足の傷を治したそうです。
また、その温泉のあった地は今も湯川(小倉南区)と呼ばれています。
また、足立山の名前の由来も清麻呂と関係していると伝えられています。

 

 

 

妙見枝垂桜

 

2020年4月16日撮影 終りがけ?

 

 

  • 枝垂(しだれ)桜はその年その年によって花付きの良い年もあれば花付きの悪い年もあるようです、2019年時点で植樹して50年を過ぎたようでかなり古木になっていて、造園屋さんに依頼し土壌改良や肥料などできる限りの手入れは行っているようですが、イノシシが根を荒らされるため防衛策も講じているようですがなかなかうまくいかないようです。
  • 「今年も頑張って咲かせたね!」と、ぜひ励ましのの声をかけてやってください。と神社の方はおしゃっています。

 

 

 

 

 

 

清麻呂伝説

 

 

  • 時代奈良時代末 - 平安時代初期
  • 生誕天平5年(733年)
  • 死没延暦18年2月21日(799年4月4日)
  • 改名穢麻呂(処罰に伴う改名)
  • 別名濂麻呂
  • 神号護王大明神
  • 墓所護王神社
  • 官位従三位・民部卿、贈正一位
  • 主君称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇
  • 氏族磐梨別氏(磐梨別公)[1]→藤野(輔治能)氏(藤野真人)→和気氏(和気宿禰、和気朝臣)
  • 父母父:磐梨別乎麻呂(または平麻呂)
  • 兄弟和気広虫
  • 妻和気嗣子
  • 子広世、真綱、仲世、ほか

 

 

 

2020.4.23

 

和気清麻呂の像

 

奈良時代の769年(神護景雲3年)、ある役人が称徳天皇に「弓削道鏡を天皇にさせなかったら、天下は治まらない。」という神のお告げがあったと報告しました。
このお告げが本当かどうかを確かめるため、和気清麻呂が宇佐神宮(大分県)へ派遣されることになりました。
宇佐から都に帰った清麻呂は、「道鏡を天皇の位につけてはなりませんというお告げがありました。」と報告しました。
道鏡は怒って、清麻呂の足の筋を切り、大隈(鹿児島県)へ流しました。
その途中、宇佐の海辺の村にたどり着いた清麻呂のもとに、200頭ばかりの猪が突然現れ、彼を宇佐神宮まで連れて行きました。
そこで清麻呂は、「企救郡(小倉南区)の山の下の温泉に入りなさい。」という神のお告げがあったので、言いつけ通りにすると足の傷がよくなったと言うことです。
また、足が立って山に登ったので、この山を「足立山」と呼ぶようになったとも伝えられています。さらに、清麻呂の足を立たせた伝説の温泉は、足立山の麓に、今も「湯川(小倉南区)」の呼び名で残っています。

 

 

 

湯川水神社

 

湯川水神社(ゆがわすいじんじゃ)

 

葛原八幡神社の摂社(せっしゃ)(本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祭った社(やしろ)。)で、和気清麻呂公ゆかりの神社です。

 

温泉に入って、清麻呂の足が元通りになった話に出てくる神社

 

 

 

 

 

 

水神社略縁起並に当霊池の由来 (案内板より)

 

人皇四十八代称徳天皇(女帝)の御代(今より約千二百余年前)和気清麿卿宇佐八幡宮に勅使(ちょくし)(天皇・皇帝・王など君主が出す使者のこと。)として参向、神勅(しんちょく)(神の与えた命令、またその文書をさす言葉である。)をそのまゝに奏したため弓削道鏡の怒にふれ足の筋を断たれ大隅の国に流刑に処せられし時卿の御船途中神明の御加護にや豊前宇佐郡長洲?田村に着く。
時に白鹿来りて地に跪き相馴れしこと養ひ畜るものの如く清麿卿大に喜び、此の鹿に乗りて宇佐宮に再び詣り給い神前にひれ伏し切に己が罪なきことを祈り給えば八幡大神告げ給うに、是れより北西に規矩郡北和山(今の足立山)の麓に温泉あり汝これに浴せよち清麿公感激、肝に銘じ、神託に従って急ぎ来り温泉に浴しぬれば数日ならずして両足元の如くに立ちぬ。
因ってその山の名を足立山と云う。
其の後の温泉涸れぬと依って其の所を湯川(湯乾のなまりたるもの)、又この少し東に小川あり現おつげ川と云う(神託川のなまりたるもの)。
其の湧き出る池(初めは湯)を称美し給い一生水と名づけ給い其のほとりに水の大元の神、水波能女神を祀り給う是れ当水神社の創始なり。

 

 

一生水 温泉が湧き出る池

 

鯉が優雅に泳いでいました。

 

 

温泉?

 

現在も温泉が微量ながら沸いているようで中心から泡が出ています。

 

 

 

清麻呂こぼれ話

 

水神社

 

湯川の水神社(小倉南区湯川3丁目3-30)の温泉に入って、清麻呂の足が元通りになった話には、次のような「こぼれ話」もあります。
足の不自由だった清麻呂は、よろよろよろけて、どんこをふんずけました。(お湯につかった時、湯のしずくがはねて、そばで泳いでいた『どんこ』の片方の目を傷つけたという話もあります。)
それ以来、湯川の『どんこ』の片方の目が見えなくなったという話も伝わっています。

 

「往古和気清麻呂卿 足痛の時、神告を蒙り、浴せられし温泉の趾といい伝えり。本村の村名も、この温泉により名付けしといえり」(村誌温泉趾)。湯浴みのとき、清麻呂卿の足は意のままにならず、ドンコの眼を踏みつぶしてしまい、それより「湯川のドンコは目が片目」といわれるようになったという。境内に「一生池」といわれる泉がある。

 

手水(ちょうず、てみず)

 

神社や寺院で、参拝前に手を清める水。神道には水を用いない手水がある。

 

 

手水舎での作法

 

  1. 右手で柄杓の柄を持ち、一回で手水(ちょうず)をすくう。
  2. 左手を洗い清める。
  3. 柄を左手に持ち替え、右手を洗い清める。
  4. 再び右手に柄を持ち替え、水を左手の中に溜め、口をすすぐ。
  5. もう一度、左手を清める。
  6. 最後に柄杓の柄を下方に立てるようにし、清水を流し柄杓をすすぐ。

 

 

 

日本は龍を神様の一柱と考え、水、雨、雲を司る神様として信仰されています。
ご神体である山から流れ出る神聖な水を龍神が守り、邪気を払う役割もしています。

 

 

水神社の和気清麻呂公像

 

 

 

オランダカイウ(カラー)

  • 開花期:4〜7月
  • 切り花の出回り時期:周年
  • 花色:赤、ピンク、オレンジ、黄、白、紫、緑、茶、黒、複色
  • 花もち:7〜20日
  • 花言葉:乙女のしとやかさ、素晴らしい美

 

 

 

 

旧 拾円札に描かれた 和気清麻呂肖像

 

 

 

甲号券

  • Bank of Japan gold convertible yen banknote 1900.jpg
  • 日本銀行兌換券
  • 額面 10円(拾圓)
  • 表面 和気清麻呂と護王神社
  • 裏面 猪と英語表記の兌換文言
  • 寸法 縦96mm、横159mm
  • 発行開始日 1899年(明治32年)10月1日
  • 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日
  • 発行終了失効券

 

 

 

  • 銀本位制から金本位制への移行に伴い、金兌換券として発行された。
  • 肖像になっている和気清麻呂は猪によって難事を救われたとの伝説があり、裏面の猪はこの伝説に基づいていると思われる。
  • そのデザインから、通称は「裏猪10円」である。当初は記号がいろは順の変体仮名であったが、いろは47文字を全て使い切ったため、それ以降の発行分は記号がアラビア数字となった。
  • 通し番号は漢数字であるが、変体仮名記号とアラビア数字のもので書体が異なり、「2」に対応する漢数字は変体仮名記号のもので「貳」、アラビア数字記号のもので「弍」となっている。
  • 裏面に製造年が、和暦で記載されている。

 

 

  • 旧十円券には紙幣の強度を高めるためにコンニャク粉が混ぜられていたが、そのために虫やネズミに食害されることが多々あった。
  • (甲号兌換銀行券10円)です(通称 裏猪10円)。表面には護王神社の建物が描かれ、裏面には勢い良く走るイノシシの姿が描かれています。
  • 彫刻師はイタリア人彫刻士キヨッソーネの弟子である細貝為次郎が担当しました。
  • 状態が良いものは希少ですが、美品以下になると現存数がそれなりの数あるためカタログ価格は低くなります。

 

 

 

 

 

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