和布刈第二展望台 駐車場(門司)

和布刈第二展望台 駐車場

 

 

 

2020.3.29  外気温17度

 

お昼におにぎりとお惣菜をもってベンチでランチ!
天気が良く丁度いい日差しと涼しい風がとても気持ちよかったです。
サクラはあまり咲いていませんでした。来週あたりが満開かも?

 

偶然結婚したばかりであろう衣装をまとった新婚さんが、海峡をバックに写真撮影をしていました。おめでとうございます。

 

 

関門海峡を一望できる展望台からは、門司港市街から下関市街までの大パノラマが広がります。日中はもちろん、ライトアップした関門橋や市街地の灯りが彩る夜景も格別です。

 

 

 

〒800-0001  福岡県北九州市門司区大字門司区 和布刈公園内

 

 

 

 

 

 

 

展望台には源平合戦の模様が有田焼の壁画で表されていたり、その時の様子を文章で書き記しています。

 

 

 

 

 

ラインスタンプ → 動くブルースネコ

 

源平合戦

 

 

源平合戦とは、武家の棟梁である源氏と平家との間で、1177年から1185年にかけての争いです。
源平合戦のきっかけとなった「保元の乱」では、天皇の武士(今でいう兵隊)だった平家と源氏は、崇徳上皇(すいとくてんのう)と後白河天皇(ごしらかわてんのう、1127年10月18日〈大治2年9月11日〉- 1192年4月26日〈建久3年3月13日〉)が皇位継承(こういけいしょう)をめぐる争いに源氏、平氏の軍事力を使い、結果としてこの2つの武家は中央政界での地位を確立します。
その4年後に起こった「平治の乱」では、平家のトップだった平清盛が源氏のトップだった源義朝を破り、これによって源氏は一時期衰退します。

 

 

その後、力を強めた平家でしたが、これに反発する勢力も多く現れました。
1180年には以仁王(後白河上皇の子)が平家の討伐を全国の武士に命じた事を機に、義朝の子である源頼朝が挙兵します。
一時期は平家に敗れた頼朝ですが、その後は順調に勢力を伸ばし、鎌倉を中心に東日本を勢力下に治めました。

 

そして、弟の源義経の活躍もあり、源氏は一ノ谷の戦い、屋島の戦いで平家を破っていきます。
そして1185年、壇ノ浦の戦いで源氏は平家を滅ぼす事に成功しました。当時なんと4000もの船が出たらしいです。

 

 

壁画の中央にイルカの絵があります。戦いの半ばで突如イルカの大群が現れたのです。その数は1000頭を超えていたとか。平宗盛(平清盛の三男)は陰陽師に占わせます。
陰陽師は「イルカの向かってくる方にいる軍が負ける」と言ったそうです。

 

 

こうして源平合戦は源氏の勝利で終わり、名実と共に武家のトップとなった源義朝は鎌倉幕府を開き、1192年には征夷大将軍に就任する事になったということです。

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