マック・マコーミックについて
- ロバート「マック」マコーミック(1930年8月3日 〜 2015年11月18日)、ピッツバーグ(ペンシルバニア)に生まれました。アメリカの音楽学者と民俗学者でした。
- 幼少時代親の仕事の関係上高校を中退していますが、のちに電気技術者やコック、カーニバル労働者、タクシー運転手などをして働き生活しています。
- 運命を変える1946年にニューオリンズでレコード店のオーナーのオリンブラックストンに出会いジャズなどの研究をして編集するのを手伝い始めました。そして1949年ダウン・ビートのテキサス通信員になりました。
タウン・ビートはアメリカの音楽雑誌の名前でジャズやブルースを専門誌に扱う1934年、イリノイ州シカゴで創刊された会社。(ダウンビートとは「ビート・ワン」、あるいは音楽の第一拍目のこと。)
- それからブルースに関心を持ち出し旅をしながら不法入国したブルース・ミュージシャンの起源を研究し、民族音楽伝統を学びました。
- 1950年代後期にマンス・リプスコムやライトニン・ホピキンス、を発見し、記録しています。そして残念ながら「ロバート・ジョンソン」と「ヘンリー・トーマス」は死後に調査していました。
- ライトニン・ホプキンスにあたっては1965年のLightnin' Hopkins - Live At Newportでプロデューースしています。
彼は一緒にこれまで行わなかった一団の元囚人を集めて、ためすがマコーミックは死亡していた多数の雑誌記事とアルバム・ライナーノートを書き残しています。
ロバート・ジョンスンの研究では第1人者です。
- 米国の代表的なブルース研究家でテキサス州ヒューストンに住んでいました。1948年からロバートについて主にフィールド・リサーチを開始ししました。1972年にスミソニアン協会で仕事をしていた時期があったのですがその間も時間があればロバートの研究の為、音楽家を知っていた人々と面談し調査をしていました。
- その集大成である「Biograph Of A Phantom」日本訳「亡霊の伝説」を執筆していましたが、いまだ出版されていません。著作権問題でもめているという噂です。
- マコーミックは完了しないまま終わらせています。本人は後に「ロバートに対する関心がなくなった」と語っています。著作権問題で嫌になったのでしょうか?このままマコーミックのリサーチは幻のままうもれていくのでしょうか。
- しかし、マック・マコーミックの本が発売直前と思われた少し前に独自の調査とマック・マコーミックへのインタビューによって出されることとなった著書 『Searching for Robert Johnson』は日本語にも翻訳され『ロバート・ジョンスン 〜 伝説的ブルーズマンの生涯』として発売されました。
そのロバートの調査にかかわった3人目は、「ピーター・ギュラルニック」です。