ロバート・ジョンソンが影響を受けたミュージシャン
- 1930年までロバートはサンハウスにあうこともなくロビンソンビルで過ごすことになります。
- 当時は誰もが奴隷のように「サン・トゥ・サン」で労働を強いられていました。
- そういった働き方が当たり前でもちろんダスティーも例外ではありませんでした。
「サン・トゥ・サン」は薄暗い夜明けから日没まで畑の労働を強いられていたという意味合いです。
音楽に全く興味がない馬車馬のような働き者のずんぐりしたダスティーは畑仕事を手伝わないで音楽にのめり込んでいるロバートが理解できないでいました。
- おそらく13歳くらいから土曜の夜のダンスホールに出かけては音楽を楽しんでいたんだとおもいます。
- ロバートはチャーリーパットン、ウイリーブラウンなどの曲を聞いて少年時代を過ごしています。
- そして学校ですが、アベイ&レザマン農園に住んでいたということです。
- その時学校に通っていたのかが分かっていません。通っていればロビンソンビル近郊のコマースの学校に通ったことになります。
アベイ&レザマン農園について
- ジョンソンが幼少期を送った農園。およそですが1919年〜1930年くらい 8歳〜19歳くらいまでの思春期をこのあたりで過ごしています。
- 初めての楽器はジューズハープとブルーズハープ、そして、家の壁に釘を打ちつけ針金を渡したディドリー・ボウだったそうです。
ディドリー・ボウとは
一弦しかないギターの様な楽器で片方の手でボトルネックなどを滑らせもう片方の手での指で弦を抑え音階を作り出す楽器です。
Diddley Bow - African Roots of the Blues https://www.youtube.com/watch?v=eiOxn4Y9cJc&feature=related"style="font-size:20px;" target="_blank" rel="nofollow">You Tube