ロバート・ジョンソンの死
1938年7月〜8月
- ハニーボーイが言うには田舎に住んでいたある男が小さな町にやってきてダンス会を開くから演奏してほしいと頼まれ、そこで何人かを集めて車でミシシッピのグリーンウッドから15マイル(1マイル=1.6kmなので24km)離れたところにある田舎のスリー・フォークスのダンスホールにつれて帰り土曜日と金曜日の夜にダンス会を開くことになり数週間滞在することになったロバートとハニーボーイ。
- 当時の黒人たちは土曜の夜はこの町にとって特別な日で黒人であることをこの夜だけは愉快なことだと思えると言う気分でみんなが共通している唯一の時間でした。
- 客の女たちはトラックに乗って「ジュークジョイント」までお気に入りのミュージシャナー目当てやギャンブル、ダンスなどをしにやってきます。
- ダンスホールは電気などはなくランタンだけの明かりで行われ、建物も古くトタン屋根で木をつなぎ合わせた掘っ建て小屋でした。窓などなくおしゃれなインテリアなどは全くない状態でした。
- 南部農村地帯にあるジュークジョイントは気分良くお客が踊れるビートの利いたブルース、シャッフル、アップテンポな曲、ブギなどがあればつらいことも忘れさせてくれる場所であり時間だったのです。
- 一方ロバートは一旦グリーンウッドに戻りましたが、土曜日の夜にはまたスリー・フォークスに戻ってきました。24キロ歩いたのでしょうか?それはわかりませんが歩けない距離ではありません。
- ダンス会の主催者は名前を「ラルフ」と言いました。
- そのラルフは自分の女房とロバートが関係を持っていることに気づいていました。
- そしてその恨みを晴らすためロバートに毒入りウイスキーを飲ませることにしたのです。
- 浮気相手の女はネイティブ・アメリカンの血が通ったチョコレート肌を持つ美形で髪の毛は長くウェストあたりまであった。女は市内に住む妹に会いに行くと口実を作り毎週月曜日バプティスト・タウンでロバートとあって映画も見たりしていた。
- ロバートが休憩をすると同時にラルフは直接渡すのではなく、友達にウイスキーを渡し、その友達がロバートに渡しました。
- ロバートは回ってきたウイスキーボトルを飲もうとするとサニ・ボーイがロバートの手から追い払らいました。
- その時サニーは「封の開いたボトルに手を出すな」とロバートに注意をしました。しかしロバートは反抗し「俺の酒に手出しするな」とムキになって怒りました。
- そして次に封の開いたボトルがロバートの前にきた時、サニーはもうなにも言わず見届けました。ロバートはにんまり笑いながらグイッと飲み干したのでした。
- サニー・ボーイとロバートはロバートがティーンエイジャーからの10年近い付き合いでお互い分かりあえる仲間でした。
- 他にもグリーンウッドに当時すんでいたブルースマンはトミ・マクレナンやロバート・ペトウェイがいました。
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- そして毒入りウイスキーを飲みほしたロバートは深夜1時頃演奏していて気分が悪くなって演奏を中断しましたが、酔っぱらった客たちが「もっと演奏しろ」と飛び交う声に答えようと必死にギターを持ち直し、演奏を続けました。
- サニー・ボーイが何とか演奏を続けさせようとロバートの持ち歌で「ミスター・ダウンチャイルド」ノイントロニハープで入り歌を振るがロバートは力なく首を横に振りました。
- 何とか演奏を続けようとしますがロバート本来のギターサウンドではなくなりもはやここまでかと、「気分が悪い、弾きたいが弾けない」とその場から離れました。
- 苦しみに限界を超えたロバートをみて、ハニーボーイは大変だと思い町につれていて医者に見せないといけないとこの時初めて思いました。だが黒人の診察をしてくれる医者はこの町にはいません。しかし深夜2時頃になるとロバートは3部屋ある構造になっているジュークハウスの奥の部屋の片隅で気分悪そうに横たわり動けなくなりました。。
- 一向に回復しないロバートとをみて家に帰そうとタッシュホグと言う男がトラックを運転をしてグリーンウッド市内バプティスト・タウンにあるロバートが借りている部屋に送りました。
- 土曜の夜に毒を飲まされ気分が回復しないまま日曜日か月曜日にグリーンウッド市内から出てヤズー川をわたり北に向かったところにあるスターズ・オブ・ウェスト・プランテーションに農園を経営している「シャック」と言う人物がロバートの世話をしました。
- そして火曜日に病状が悪化している中ハニーボーイ・エドワーズが様子を見にきました。
- ロバートはかなりの重傷で吐血、嘔吐を繰り返しはなすことすらできない状態でした。
- ロバートはきっと苦しんでいる間「俺はこのまま死んでいくのか、いや今から俺はもっともっとギターの腕を磨きそして認めてもらい多くの人に聞いてもらい有名になってこんな田舎の町をでて行くんだ!」と思っていたでしょう。
- ロバートは死期が近づいていることに気づいていました。近くにあった紙切れのはしになにやら書き始めました「俺の死体はハイウェー際に埋めてくれ」「そうすれば俺の悪霊がグレイハウンド・バスに乗っていけるから」と歌うように書き記したのでした。
- そしてその夜力つきるように1938年8月16日火曜日ロバートは眠っていきました。
- しかしこの死亡説にはもう一つあり、毒を盛られた日は8月ではなく7月の土曜日と言うことでした。それから数週間肺炎に苦しみながら生きていてパブティスト・タウンの家に横たわっていたロバートを女性ファンたちが探し出し看病のために自分たちの住んでいるスターズ・オブ・ウェスト・プランテーションに連れて行ったと言う話です。
- それがもし本当であればロバートは長い間苦しみに堪え死んだことになります。