ロバート・ジョンソンの死後
ロバートの死後埋葬は簡単に行われました。死亡証明書にサインしたのはプランテーションに住んでいた「ジム・ムーア」と言う人でした。
- 医療サイドの欄に「ノードクター」と書かれてて、職業はミュージシャン、独身、後、両親の名前などが書かれていました。また証明書の裏には死因として「梅毒」の文字が書かれていました。
- これはプランテーションの経営者が先入観で行ったことがそのまま書かれたのではないかと言う話です。
- 埋葬された場所はグリーンウッドの外れのモーガン・シティーの小さい教会の近くに埋められたが、その墓には何の標識もなく簡単な十字架を見立てた枝が刺さっていました。
- その数日後ニュース取りざたされてデルタ地帯、メンフィス一帯にも伝わっていきました。
- ロバートは遺言を遺しています。これは長い間姉の「キャリー」が家にそのまま忘れられながら保存されていました。
- 「ナザレのイエス、エルサレムの王、私は知る、私をあがなうものは生きておられ、私を墓から呼ぶことだろう」
ナザレのイエスとは1世紀のパレスチナで生まれたユダヤ人宗教家です。
世界宗教の一つキリスト教の開祖でキリスト教においては教宇約聖書で説かれた「人の子」(メシア、救世主)であると信じられており、「イエス・キリスト」と呼ばれる。
「キリスト」とは油を注がれたものを意味するメシアをギリシャ語訳した称号です。
「エルサレムの王」とは1099年 - 1291年11世紀末西欧の十字軍によって中東のパレスチナに樹立されたキリスト教王国。十字軍国家の一つで、
ソロモンは外国との交易を広げて国の経済を発展させ、官僚制度を確立して国内制度の整備を行いました。
また、国内各地の都市も強化しています。さらに軍事面ならびに外交面では、近隣王国と条約を交わし、自国を強国に育てあげました。イスラエル王国の領土はユーフラテス川からガザにまでおよび、誰もが安心して暮らすことができたソロモンは初めてエルサレム神殿を築いたのです。
- キリスト教には理解を示していなかったと言われているロバートだが死を目の前にして今までの懺悔をしているかのようです。
- ロバートの姉である「キャリー」がジョージア通りにある自宅の扉を開けると息子のこのルイがロバートのギターを持ってたっていた。「おや、ロバートおじさんはどこにいるんだい?」と聞くとルイは「死んだんだ!」と答えました。
- ジューリアは新しい夫の説教師と別れてデルタに暮らしているときにロバートが死んだことを電話で知りました。
- ジューリアはひどくショックを受けたでしょう。どうして26歳の若さで親よりも早く死ぬなんて、なぜ死ぬことになったのかといろいろなことが頭の中で駆けめぐり整理するのに時間がかかったことでしょう。
- ルイはミシシッピーに行ったときにロバートの母であるジューリアに会い、その時にロバートが死んだということを知らされることになります。
ラインスタンプ ⇒ ブルースネコ
- ジューリアはロバートの数少ない持ち物を整理していました。そのとき手にしたロバートのギターをルイに渡すのでした。
- ルイはその足でメンフィスに持って帰り兄弟のチャールズ・リロイに渡しました。
- ドン・ローはロバートが死んだ翌年の1938年の晩秋にロバートを捜しに出かけました。
- 同年の12月にジョン・ハモンドがカーネギー・ホールで「スピリチャルズからスウィングまで」と題したコンサートにロバートを出場させようとしていたことにドン・ローは知るとそんな子としたらロバートはひどくおびえてしまうのじゃないかと反対しました。
- そしてアニー・アートルはロバートが死んでいるのを知りロバートの変わりにビッグ・ビル・ブルーンジィーと言うことに決めました。
- そしてジョン・ハモンドはコンサートの前にロバートの熱狂的な哀悼の辞の形で報告し主催者である「ニュー・マーシズ」誌の12月13日号に発表されました。
- そしてそのコンサートの舞台から弔いとして「ウォーキング・ブルース」と「プリーチン・ブルース」のレコードを流しました。
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