レコーディング後のロバート・ジョンソン

レコーディング後のロバート・ジョンソン

 

  • 1937年6月20日の録音スタジオであるダラスを後にしロバートはすぐに故郷に戻りました。
  • アーニー・アートルが用意したであろう列車の切符を現金化して貨物列車に乗ったかもしれません。
  • 当時の日給は1日3ドルほど稼げばいい方だった中、ブルースを弾きそれで得る金額は1曲5セント〜10セントほどです。
  • それを2日間のレコーディングでポケットには初めて見る数百ドルの金額が手に入りました。
  • ロバートは興奮を抑えきれず、早くこの高鳴る気持ちを誰かに伝えたがったに違いありません。

 

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  • それを裏付けるような話があります。ロバートはセッションがどのように行われたのかを一部始終ジョニー・シャインズなどにも話して回ったそうです。
  • マックマコーミックによるとロバートは最初のレコードが発売されたとき親類たちいろんな女性に生ませた子供たちに自分のレコードを渡して回ったと言っています。
  • その後テキサス州レッド・ウォーターでジョニーシャインズと組み寒くなるまでテキサスで仕事をして南の方へ向かいそれからアーカンソー州に戻りリトル・ロックまで行きました。
  • ジョニーシャインズは母親がアーカンソーのヒューズの近くに住んでいたためロバートとそこで別れることになりました。

 

 

 

  • ロバートは1人演奏するために旅をして回りました。そしてセントルイスからイリノイ州に入りました。
  • そこではあまり居心地がよくなく長居をしませんでした。なぜならこの町はあまり黒人をみたことがない人が多いようで、演奏をしていると物珍しいそうに集まってくる白人たちが肌の色をみるために小銭を払っていたということに気づいたからです。
  • ロバートはしばらくメンフィスに滞在しヘレナへ向かいました。そこはロバート・ロックウッドの母親がいたため都合がよかったからです。なぜならそこで世話をしてもらいながらミシシッピー州、アーカンソー州のデルタ地帯一帯を旅して回ることができるからでした。
  • ロバートは大半は1人で演奏して歌っていましたが噂によると死ぬ数ヶ月前にピアノ、ドラムス、管楽器を取り入れて演奏をしていたと言われています。

 

  • その頃にはマディー・ウォーターズがストリングバンドを演奏していてサン・ハウスもトロンボーンのリトル・バディーを雇っていた頃なのであり得ない話ではないらしいです。
  • それからしばらくして運命の日がやってきました。

 

 

 

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ロバート・ジョンソンの死

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